5~6歳(年長)保育園生活最後の年です。むすこの通う園では市主催のお祭りでのパレード・音楽祭・お泊まり保育・老人ホーム訪問…など、一番行事の多い年でもあります。心理の先生に「先生が替わることで、今まで出来ていたことが出来なったり、多少の変化はあるかも…」と言われていましたが、新しい先生にもすんなりなじんで、クラス替えが終わった直後、前任の先生に「バイバイ」とそっけなかったそうです。(去年のむすめのクラスの先生がむすこの加配の先生になり、むすこのクラスの先生がむすめのクラスになりました…まるでトレード?) 年長さんはお当番がたくさんです。給食時の放送当番・園庭の掃除当番・午睡時のふとん敷きetc… この中で一番困ったのが園庭の掃除当番。掃除は夕方4時40分くらいから始まりますが、これまでのお迎え時間はだいたい4時30分。私の迎えが少しでも遅くなると、先生が「お部屋に入って待とう?」と声をかけても、門の所に座り込んで待ち、私の顔を見るなり半ベソ顔…で時間を変えられずにいたので、掃除当番を機にお迎えの時間を5時まで伸ばす練習が始まりました。初めのうちは当番の日のみ10分位遅くし、掃除の途中のお迎え→次は最後まで、と少しずつ伸ばして、5月中旬には掃除が終わった後、部屋に入って待てるようになりました。 6月に、園長先生の勧めで、就学相談会に行って来ました。 最初の部屋では、むすこは児童相談所の方と知能テスト。私達は教育委員会の方との話し合い。親から見た子どもの発達の程度と、どの学校に行きたいか(校区の普通学校かちょっと遠い養護学級のある学校か。また、普通学校の場合、通級はするのかしないのか…)などの話し合い。 次の部屋でも、またまた話し合い。↑の時と同じようなとこを聞かれたり言われたり…何か担当がマニュアル通りのことしか言わない人で、この時が一番嫌だった…。 その次の部屋では言語能力の検査…だったのが、今までさんざん嫌いな判定のテストを受けさせられ、おまけに長い時間待たされて、機嫌の悪さが最高潮になりまったく出来ず… この日1日で判断されたら嫌だなぁ…とかなり不服でした。 後日教育委員会の方から電話があり、「今伸びている途中ということなので、後日保育園に見学(いや偵察)に伺います」ということで、10月上旬に来ることになりました。 この日、私や担任・加配の先生は、むすこの機嫌を損ねないよ~に、それはそれは朝から気を付けていたんですが… 私がいるといつもと違う雰囲気になって本調子が出ない、ということで、教育委員会の人、園長、加配の先生の話し合いの時だけ合流することになったんですが、私が保育園に着いた時、加配の先生が「お母さ~ん、どうしましょう…」みたいな顔で私の方を見ていて… 話しを聞くと、むすこの苦手な友達にちょっかいをかけられ、今までにないくらいに悪~い状態(ぎゃーぎゃー言ったり教室内ふらふらしたり)になったらしく…教育委員会の方の判断は「いつもがこの調子なら、普通学級はお勧めしません!」ときっぱり…。 加配の先生や園長先生が「いつもは違うんです~」と必死になって説明してくれるのが、申し訳ないくらい… 「一応、養護学級を見学しに行って下さい」と言われ、後日主人とむすこと3人で行ってきました。 うちから一番近い養護学級は、車で行っても20分はかかるところ(バスだと乗り換え(しかも接続がめちゃ悪い…)しないといけないのでもっとかかる)にあります。保育園の担任の先生の出身校だということで、いろいろ話は聞いていたけど、マンモス校で人数が多く、音楽や体育などの授業で普通学級に入るとしても、目が届かない可能性は高いよね…」というのが私たちの感想。やはり「近くの小学校がいいね」ということになりました。 同じ月に校区の小学校で就学前健康診断がありました。 内科検診・歯科検診・面接だけだったし、保育園のクラスの子どもたちの28人中、18人が同じ学校に行くこともあり、顔見知りばかりだったので、「これくらいは大丈夫だろうな…」タカをくくって行ったのが運のツキ… 最初の歯科検診から駄々をこね、いくらみんなでなだめてもダメ状態。次の部屋に移動しようにもそれすら嫌がり…他の人達にじろじろ見られるわ、もう最悪…。見るに見かねた先生が、検査をすっとぱしてくれ、面接の部屋へ直行。校長・教頭先生が子ども達にいろいろ質問する場面なのに、私にいろいろ聞かれ、今までの経緯なんかを何とか話して帰ったもののかなりショックで、加配の先生に話しながら「先生、もうだめ~」と泣きついて、落ち込んでいたら、「お母さん、校長先生に打診して、直接話を聞いてもらいに行きましょう」と、園長先生が校長先生にアポを取ってくれ、、数日後に話し合いに学校まで行きました。 保育園のお友達の大半が通うことになる小学校だし、やっぱり地域の小学校に入れたい。どうしてもってわけではなく、勉強や団体行動についていけなくなったら、その時にまた考え直すから…と、私たちの考えを校長先生に話し、園長先生や加配の先生にも助言をいただき、「うちは断ることはしません。むすこさんがこの小学校に入ることになったら、ご家族の方に手伝ってもらったりする場面もあるかもしれませんが、出来る限りのことはします」と校長先生言ってもらえて、とりあえず一安心… 最後の難関は、1月に再び行われた教育委員会の方との詰めの話し合いでした。 教育委員会の判断は、やはり養護学級のある学校をすすめます…とのこと。 でも、日頃息子の事を見てくれている先生方が、「むすこくんは、周りのお友達を見ながら、いいことも、もちろん悪いことも吸収して成長しているから、普通学級の方がきっと伸びます」と太鼓判を押してくれたのを励みに、何とかなだめすかし(?)最終的には「わかりました。では校区の小学校希望ということで会議を進めます。こちらから小学校にも検査結果など、状態を話をしながら進めていきます。」という言葉をもらい、結果を待つこと数週間…他の子より1ヶ月以上遅れて「就学通知票」が手元に送られてきました!。合格通知でももらったみたいに「やった~」と大喜びでした。 2月、就学通知の葉書がやってきた数週間後、今度は行くことになった小学校の先生から「お子さんを受け入れるに当たって、職員会議で話し合いをするから一度お話を聞きたい…」ということで連絡がありました。 「ここまで来て断られたりしたらどうしよう…」とかなり不安でした。家まで来てくれた先生は一見怖そうな男の先生と、優しそ~な女の先生で、話しもわりとアットホームに進んで、「小学校と保育園の交流会の時に、むすこさんの様子をみせてもらいました。見た限り、現時点では多分うちの学校でも大丈夫だと私たちは思っています。」てな内容から始まり、親がが学校に希望すること、心配なことや気になることなんかを話して(…この頃ちょうどおっとの手術と時期が重なっていたので、内容がはっきり思い出せないんだけど…)終わりました。良かった良かった。 話し合いをした数日後にあった入学説明会、その時にあった一年生との交流会も前みたいに暴れ回ることなく、それどころか、手遊び歌(大きなくりの木の下で)までみんなと一緒にこなしていてびっくりでした。(この時初めて見た気がする…) 3月、卒園式も無事終わり、いよいよ小学校に入学です! 年長さんでの出来事 ●病気…水疱瘡・溶連菌感染症・水いぼ・マイコプラズマ肺炎・気管支炎・おたふく風邪・インフルエンザ…軒並みこの時期にかかりました。おまけにおたふく風邪・インフルエンザは行事のある日にひっかかり、参加出来ず…無念。 ●夏祭り…年中さんの時はあれだけ嫌がっていたのに…水疱瘡で長期休み明けだったのにもかかわらず、踊り、太鼓など、最後までみんなと一緒に出来ました。もう感動ものでした。 ●ブール…去年までは、ズボンに水がちょっとかかったくらいでも嫌がっていたのが、平気で入れるように。大きいプールでも平気で、顔に水がかかるのを嫌がらなくなったどころか、自分で顔を水につけられる様になった。 ●運動会…この年は猛暑で、練習の時、途中でこっそり日陰に入り、さぼることもしばしば。内容もマーチング・組体操など難しい競技が増えて、保育園に行きたがらない日もありました。でも本番は、鉄棒の前回り、登り棒、跳び箱etc…出来ないこともあったけど、最後まで参加することが出来ました。運動会の後になってから、前転が出来るようになりました。 ●療育手帳更新のための判定…最近落ち着いてきてるからもしかしたら…という期待をよそに、本番にからきし弱いむすこ、判定員の言うことをまったく聞かず、知能検査もまったく出来ず…日頃の様子を私から伝えたものの、「私たちから見た判定しか出来ません」ということで…もちろんひき続き中度判定。 ●お泊まり保育…今まで一度も私と離れたことなかったので、か~な~り心配してましたが…夜も泣くことなく、先生方を振り回しつつ…思いっきり満喫できたみたいです。 ●写真を撮られるのと、自分の写っている写真を見るが大嫌いだった。ビデオも同じく。なのに、周りで必死にむすこに前を向かせようと四苦八苦している先生方をよそに、むすこが一番写真写りが良かったのが笑えた(撮るのは大好き、下手だけど) ●生活発表会…練習が嫌で、わざわざセキをして、先生に熱まで測らせて仮病を使おうとしたりして、不真面目だったらしいけど、本番はバッチリ決めてくれました。この年はちゃんと台詞まであってびっくり。 ●音楽祭…市主催で市民会館で行われたこの音楽祭、「途中でふらふら歩き回り出したらどうしよう…」とはらはらしていたのに、最後までタンバリン演奏出来ました。ちゃんとリズムもあってたし。(途中ずれたけど目立たなかった(笑))すごい! 出来るようになったこと ●ゲーム(スーパーファミコン)…レース系、アクション系(当時はドンキーコング)が得意。私やおっとが相手しても勝てなくなるほど強くなった。 ●その日保育園であった出来事を、少しずつ、話せるようになった。(「おさんぽいった」「○○先生とボールで遊んだ」てな具合。 ●2語文が増え、少しずつ上手になってきた。けど、万人が理解出来るような言葉じゃなかった。私や妹、担任・加配の先生やクラスの一部のお友達など、聞き慣れた人だけには通じる、という感じ。(この頃はおっともあまり理解出来なかった。長い間入院生活してたから仕方ないか…) 「大きくなったらママと結婚する」とかいう未来文や「また」などの言葉もこのころ少しずつ言えるようになった。 ●気の合うお友達も増え、仲良く一緒に遊べるように。先生に向かって「ばばあ」とか「はげ」とか言ったり…悪い言葉も吸収していった。 ジャンル別一覧
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